Metonymical Deflection

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心の整理

ようやく、心の整理がついてきた感じ。


父方の祖母が亡くなった。


先週の今日、本当は早川駅近くの病院へ
親父と一緒にお見舞いに行く予定だった。


なので、早めに寝ようと床に着いたんだけど、
朝一に鳴った電話は訃報を知らせるものだった。


親父「今日、お見舞い中止だから」
オレ「何で?」
親父「おばあちゃん、亡くなったから」
オレ「ッ・・・」


これでしばらくの間、思考停止してしまった。


「会おうと思っていた人に、会えるはずだったのに、もう一生会えなくなる」


正直、受け入れられなかった。


「危険な状態だから、今日明日にでも容体が急変しかねないので、可能な限り急ぎなさい。」
といった状況であれば、まだ心構えが違っていたかもしれないけど、あまりにも急過ぎた。


「何でだよ、今日、普通に会えるはずだったんだよ」
とか思ったりもしたんだが、まさしく後の祭り。


どうにもならない状況をどうにかしようとするのは、
心身共に疲れるものなんだなと、つくづく感じた。


こういうときってどうしても、
表面的な部分と内面的な部分が相反しがちになる。


けど、いつまでも相反したままで良いわけではなく、
しっかりと前を向いて歩いていかねばならないのが、
現実に残された人の役割とか使命だったりするよね、と思う。


大学関連書類の作成や入学前課題の実施などで、
現実に引き戻されて数日が経過しつつあるんだけど、
床に着くとまだ眠れない夜があったりする。


そういうときは、お酒を呑んだり、物思いにふけったり、
少しだけ自分を甘やかせることにしている。



本当は、ばあちゃんとの思い出を忘れずに書いておこうと
思っていたんだけど、書かないことにした。


オレが物心つくか?つかないか?くらいの出来事だから、
たぶん30年くらい前の話なんだけど、今でも鮮明に覚えている。
なので「きっと一生忘れることはない」と思ったので、
書く必要もないと思った。