設計をしてて思ったことなんだけど、
人は「考えること」をやめたらダメだなって気がした。
意図的にかつ一時的にやめるのではなく、
そもそも「何も考えちゃいねぇだろ?」とか、
「思いつきで言ってるだろ?」などと
といった状態になると、厳しいと思う。
なぜなら、生きる屍と大差ないから。
何も考えなくても良いって状態は、かなりというか相当「楽な状態」だと思う。
しかし、そこには「己」というモノが欠落していると思う。
自分の意にそぐわないことであっても、「考えること」はやめちゃいかんと思った。
設計者である以上、責任は伴う。
責任を全うするためにも、「考えること」はやめてはいけない。
考えていないと、「なぜなら」が出てこないし、
「なぜなら」の内容が浅くなってしまうから。
それとね、考えてないヤツの言動が徐々に見抜けるようになってきた。
気がしてるw
今はまだ、反射的に切り返す域までは達していないものの、
一呼吸置くと、大体わかるようになってきた。
それには、やっぱり自身が「考えている」からこそなんだと思ってる。
「私はこう考えている。なぜなら、、、」の後に
出てくる内容の深さで、ある程度の決着は付く。
当然、そこには自分が思いもよらなかった視点や観点からの考え方を
素直に理解しようとする努力がなければいけないけどね。
そこまで加味して設計が完遂できたなら、
恐らく80点くらいの評価を頂いても良いのでは?
と甘っちょろい戯言で締めくくろう。