Metonymical Deflection

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あれから20年

ちょうど20年前の今日、私は夢を諦めました。

今日は節目の日として、10年前の記事を振り返りながら、少し個人的なことを書きたいと思います。
あれから10年 - Metonymical Deflection


10年前は、こんな自分↓を想像していました。
(一人称が「オレ」となっている点は若気の至りだと思ってご容赦ください。。)

オレの10年後は、技術系の教育者という側面も兼ね備えたヒトに
成っているのではないか?と想像している。

この10年(2012-2022年)の間、大学に進学したり仕事で教育業務に従事させて頂くことはありました。
しかし、今は現役でITエンジニアの仕事をさせて頂いており、日々強烈な刺激を受けられる環境に、とても感謝しています。


過去を振り返った時、どのくらい前から「今の自分」が想像できていたのかを思い返してみました。

20年前 2002年 夢を諦め挫折を受け入れた直後で、今の自分は1ミリも想像できていませんでした。
10年前 2012年 大学進学を控え、没頭できる研究テーマを見つけて修士や博士課程に進みたいと考えていたため、今の自分は全く想像できていませんでした。ちなみに、3年半後、院試に落ちてしまったので、再び挫折を受け入れることになりました。
5年前 2017年 ひたすら仕事に没頭していたため、今の自分はほとんど想像できていませんでした。
3年前 2019年 漠然とですが、今の自分のイメージが思い浮かびつつあったような気がします。

ある選択をした時点で、その選択の正誤は誰にも判断できないのではないかと思います。
たとえ、不本意な選択を受け入れるしかなくても、その選択の結果は、その後のアクションで決まってくる、と実体験を通して感じたからです。
なので、大切なことは、その選択が正しかったと思えるようになるまで、アクションを起こし続けることではないかと考えています。


また、こんなこと↓を書いていました。

けれど、夢を諦めてから、10年間がむしゃらに走り続けてきた結果、
とても遠回りをしてしまったけれど、今の道を選択した。

この10年(2012-2022年)の間、最初は「がむしゃら」でしたが、
次第に色々なことを考えながら走れるようになってきた気がします。
加えて、これまで以上に人に感謝することを学べたと考えています。
なので、この点は10年前よりも少しだけ成長できたのかなと実感しています。


一方で、こんなこと↓も書いていました。

ただ、確実に言えることがあるとするならば、
10年後のオレも今と同じように
「自分のやりたいことに挑戦し続けている」
のではないのかなぁ、と思ってる。

この点は今も変わっておらず、「自分のやりたいこと」には、とても強い拘りがあることを自覚しています。
この「やりたいこと」の軸がブレ始めると急ブレーキが掛かり、軌道修正できるようになってきました。
これは挫折を経験して備わった保護装置なのかなと考えています。


加えて、こんなこと↓を書いていました。

当然、そんな自分が少しづつ「違う」とか
「異なっている」ということは認識しているつもり。

でも「何が?」って思う。

オレはオレだから。

肩ひじ張ったような言い回しですが、10年前の私は、所詮この程度だったなと、しみじみ思います。
一方、多様性が受容される世界を垣間見て、今は同じことが楽に思えるようになりました。
自分が「違う」とか「異なっている」などと気負う必要はなく、私は私です、と。


過去を振り返り、10年後の自分を想像することは、ほぼ不可能なことがわかりました。
しかし、希望だけで言えば、10年前と変わらず技術系の教育者をイメージしています。
特にここ数年、若手の教育は改めて大切だと感じています。

というのも、10年前、私が教育させて頂いた若手エンジニアの方々が、
現在は、それぞれの専門分野において第一線で活躍されています。
そういった彼らの専門分野では、私が彼らに助けを求めたり、
時には彼らから教えて頂ける、といった頻度が少しづつ増えてきています。
このため、仕事ではなくても、何かしらの形で教育に携われるよう
私自身が継続的に精進していかなければならないと考えている次第です。


最後に。
2002/2/24に開催したライブ「Universal Summit」の

  • 時間
  • 空間
  • そして集った仲間たち

これらは皆、私の永遠の宝モノです。

本当に本当にありがとう。